アチューメントと父のこと(3)
category: 多次元キネシオロジー
カルマリリースが終わり、
私にとっての、エジプトの旅が終わりました。
私はこのとき、
まだアチューメントに執着していて、
ここにきてNGだったことがショックでした。
そして、新しいクラス
「Wisdom of Universe 」に進めないのだと思うと、
本気で落ち込みました。
なんともいえない劣等感に苛まれ、
どうして私はだめだったのか、
オリオン遺伝が噴き出すわ、
レプは大暴れで明晰さの欠片もなく、
そこから認めてもらえないのではないかという
恐れに直結していき、
二ビルが大行進です。
それに加えて、
やはりまだ父のことで、
悲しみが癒えるわけではないので、
久しぶりに辛い日日を送りました。
味覚症状に異常がでて、
味がわからなくなったり、
夜は何度も目が覚め、
悪夢ばかり見る毎日でした。
そんな中、
家族が本当にサポートをしてくれて、
私が引き込まらないようにと、
連れ出してくれたり、
家事もご飯の支度も、
2人でやってくれたり。
ある人は、そんなこと当たり前と云うけれど、
私にとっては当たり前ではありません。
この辛い時のやさしさが
本当に沁みました。
主人からは、心に響く言葉かけも、
たくさんあって。
これほどに、家族の力を感じたことはなく、
ゆっくりゆっくり、
ゴールデンウイークを過ごし、
ゆっくりゆっくり、
元気を取り戻していきました。
父のことでは現実に変化が訪れはじめ、
50年ぶりに従妹と連絡が取れ、
懐かしい繫がりができたこと、
そしてなにより、
父のお別れ会と納骨に
参列できることになったこと。
火葬などの事情で、
まだ行われておらず、
日程もまだ決まっていないのですが、
決まり次第、
従姉弟たちで集まれることになりました。
そんなことは、思ってもみなかったことで、
現実が変わるということを、
実感したことでもありました。
一方で、アチューメントのことが
ずっと引っかかったまま。。。。。
私は一番大切なことを見落として
気づかないままいたのです。
典子さんに、やっとお礼のメールを送ることができたのは、
新しいクラスの前半が終わった頃でした。
これまでの状況と、
私の心情の変化、
アチューメントができなくて
とても残念だったことを書きました。
でも、やっとそこを抜けてきたこと。
新しいクラスを受けることは、
私にとってマストであって、
そうしなければ先に進めないように思っていました。
なんというか登竜門みたいに
無意識に思い込んでいたような感覚です。
そしてセラピストとしても、
上級クラスが受けられないと
認められないような、
陳腐なストーリーが出来上がっていたのです。
その大きな勘違いの中にいるから、
私は苦しんでいました。
アチューメントが受けられなかった、
クラスに進めなかった、
劣等感のようなものが芽生え、
やっぱり私はだめなのかと。
だけど、それは大きな間違いでした。
劣等感なんて感じる必要はなく、
何も失っていない、今までどおりの
ヒーリングができるのに、
何を恐れていたんだろうと、
そう思えるようになってきたのです。
もっとパワーアップするために
必要なプロセスだったと、
だからここが私のタイミングではなかったと。
そのことを典子さんに伝えたのですが、
典子さんからの返信には、
まだまだ、私が自分の闇を見ることができていない、
その事実でした。
(4)につづく
アチューメントと父のこと。(2)
category: 多次元キネシオロジー
4月26日。二回目のアチューメント。
エジプト時間の朝。
日本では夕方の時間に私の番が回ってきました。
この日、4人のアチューメントがあるとのことで、
私は最終でした。
これまでの一週間は、
この日に向けての調整三昧でしたが、
思いのほか、父のことがストレートに悲しくて。
普通に考えれば当たり前のことですが、
私はもっと淡々と受け止めると想像していたのです。
いえ、そうだと思い込みたかった。
もう縁が切れた人だから、いつどうなっても大丈夫と。
さらに、インナーチャイルドの罪悪感があって
どうにも辛い状況でした。
それでも、
ここを乗り切ったら、私は次に行ける。
アチューメントが終わって、すべてうまくいき、
父のことも乗り越えられる。
そんな気持ちでいたのです。
しかし、エジプトの典子さんと繫がって、
典子さんから言われることは
やはり許可は降りないということでした。
典子さんは、昨日の時点で、
もう許可が降りないと
ガイドから言われていて、
とても不思議だったと話してくれました。
なぜ、それならエジプトにくる前にNOじゃなかったのか、
どうしてここにきて、NOなのか。
何度確認しても、メンバーに入っていたのに、
何でなのか。
すると、イシスが出てきたそうです。
「私が呼びました。」と。
私のカルマリリースを
エジプトから行う必要があると。
本来、カルマリリースは
典子さんがNYにいてもできることで、
わざわざエジプトで繋がり、
行なう必要がないのです。
それなのに、このタイミングで
エジプトから、カルマリリースというのは、
本当にあり得ない事だったと思います。
カルマは、エジプトの神官。
親を捨ててまで
自分の使命を全うしようとした神官でした。
最後は王の迫害にあい、
幽閉されてしまったとのこと。
親のこと、使命を全うできなかったこと、
罪悪感や無念さ、虚しさを抱え、
死んでいったということ。
私のインナーチャイルドは、
親の離婚のときに、
父と母と、どちらを選ぶのか、
自分で決めた方について行きなさいと言われ、
どちらも選べないと苦しみながら
母と生きることを選びました。
それが、父を捨てたような感覚になって
罪悪感になっていったのです。
ずっと、大人になってからの罪悪感だと思っていました。
大人になって、
再会と疎遠をくりかえし、
最後にまた、縁を切った。
そのときのものだと、
ずっと思っていたのです。
でも、それはインナーチャイルドのときから
続いていたのでした。
お母さんかわいそう、
お父さんかわいそう、
弟がかわいそう、
私ががんばらないと、
みんながしあわせになるために
私ががんばらないと。
でもしあわせにできない、
罪悪感、無念さ、虚しさ。。
もっと
もっとがんばらないと。
この子は、
自分一人で責任を感じていました。
どうすることもできなかった。
本来、子どもが罪悪感をもつなんておかしなことで。
大人の責任を、
子どもが負っているわけです。
選ばされて可哀想なのは、
その子なのに。
大人の勝手で離婚するのに、
自分を責め続けた、
一人でずっと苦しんだインナーチャイルド。
誰にも守ってもらえないのに、
皆んなを守りたいと思っていたインナーチャイルド。
そのあとも、自分を赦すことなく
豊かさや幸せの選択ができないのでした。
カルマリリースは、イシスの力を借りて行われました。
典子さんも号泣しながら、
誘導してくれました。
イシスが、インナーチャイルドに声をかけてくれます。
そして、こんなに頑張ったあなたを褒めたたえなさい、
自分を褒めなさいと、
伝えてくれました。
イシスが、エジプトのカルマを
宇宙へ上げてくれ、
壮大なカルマリリースが、
終了しました。
*
カルマリリースのあとには、
現実が変化していきます。
これまでのものを解放して
私は本当の豊かさや
しあわせをこの現実で再現していく必要があり、
もっともっと闇を見ていく必要もあります。
典子さんから、
アチューメントは来年、かな。
と言われ、お礼を言って私の旅は終了しました。
ところが、このときはまだ、
事の重大さがわかっていない私でした。
(3)につづく。
アチューメントと父のこと。(1)
category: 多次元キネシオロジー
気づけば、大好きな5月も半ば。
久しぶりのブログに、
自分のブログながら戸惑いがあります。
どこから書いていいのかわからないのだけど、
2つの大きな出来事が重なり合って進んでゆきました。
4月。アルクトゥルスのアチューメント。
多次元キネシオロジーの上級クラスに参加するために
これは必須条件でしたので、
そこに向けて、たくさんの時間とエネルギーを費やした私がいました。
なんというか、必死でした💦
ものすごく受けたかったクラスだったので、
そのために、必要なことがアチューメントだと
思っていたからです。
課題もたくさんあったので、
余計に焦りがあったかもしれません。
最終メンバーに選ばれ、
4月18日が私のアチューメントの日でした。
ところが、当日、
エジプトの典子さんと繫がって、
言われたことは、
”ガイドからのアチューメントの許可が降りない”
”アチューメントはまた後日にする”
まだ私が、なにか、
気づく必要があるとのこと。
半分、覚悟はしていたものの、
やはりショックで。
後日というのは、
典子さんのエジプト滞在中に、
もう一度チャレンジするということでした。
あと一週間、
私はこの罪悪感から
抜け出せているのか。。
*
罪悪感とは、一日前にさかのぼります。
明日がアチューメントという4月17日の夜。
父が他界したと知らせが届きました。
父との関係が複雑すぎて、
ここでは伝えきれないものがあるのですが。。
幼い時から別居、
その後、離婚したので、
父と暮らした思い出は限りなく少なく、
いわゆる父に甘えるようなことは一切なかったですし、
子どもの頃の会話自体、ほとんどありませんでした。
母は父を憎み、
私は母から父の悪口をさんざん聞かされて
大人になりました。
でも、父のことを、
母のように憎いと思ったことはなく、
むしろ私にとって、
会いたい存在に変わっていきました。
その想いを果たしたのは高校生のとき。
会いたくて、小さな手掛かりを頼りに
探し出して再会しました。
そこから、時折り会えるようになり
短い時間、いろいろな話しをしました。
ところが、私が20代の頃、
また疎遠になってしまうことがあり、
15年近く、音信不通のまま、
私も、あきらめ、忘れようとしていました。
もう二度と会うことはないと思っていたのですが、
主人の勧めでまた、会えることになり、
娘が生まれて間もなく、
14年ぶりに再会したのです。
それからは月に一度、
必ず食事をしたり、
連絡を取り合うようにしていたのですが、
またしても、歯車が狂ってしまい、
4年前、私はこの関係を絶ってしまいました。
父からも連絡はなく、
私からも一切連絡はしない。
大きな罪悪感の中で、
自分を正当化することばかり
思い返しては、
また罪悪感にのまれるというくり返しでした。
今回、父が他界したと聞かされ、
罪悪感が一気に噴き出し、
そして封印していた部分のインナーチャイルドが
炙り出されることになりました。
どうしてこのタイミングで。。。。
明日はアチューメントの日。
ここを逃したくないという思いから、
父のことをなんとか考えず、
アチューメントが終わってから、
週末になったら、
父のことは考えよう。
とりあえず、明日に集中しなきゃ。。。。。
とりあえず、明日。。。。
集中しなきゃ。。。
これまでにないくらい、
焦燥感と渇望が沸き上がり、
私はきっと、いや~な顔をしていたに違いありません。。。
一番なりたくない顔に。。
ほんとうに醜い顔をしていたと思います。
結果、アチューメントは延期になり、
私はいやでも父のことに向き合うことになります。
インナーチャイルドもカルマも、
宇宙系もこれでもかというくらい上がってきましたが
今思うと、
私は何一つ、ちゃんと向き合えなかったのかもしれません。
それでも。。。
アチューメントまで一週間。
涙が枯れるほど、インナーチャイルドと父、
父と母、
自分の闇をみていきました。
*
4月26日。二回目のアチューメント。
結果は、アチューメントの許可降りず。
典子さんから、聞かされたことは、
意外な事実でした。
つづく。