桃の節句
category: スピリチュアル
今日はひな祭りですね。しとしと春雨の降る桃の節句となりました。
三月の初めの巳の日という意味ですが、のちに三日に定まり、また、ちょうど桃の季節なので
今では桃の節句という美しい名で親しまれています。
我が家でもおひな様にお出ましいただきました。
とても可愛らしいお顔立ちに姿はどこか懐かしい感じがします。
お人形にまつわるちょっと不思議なお話しがありました。
私の仲のいい友人のことです。
彼女をリーディングするとき、いつも小さなお人形が視えました。
そのときどきで、わちゃわちゃとたくさん感じるときもあれば、少しだけのときもありましたが
必ず出てくるのは赤と青の、女の子と男の子のお人形でした。
最初のころ私は、彼女が刺繍を趣味にしているので、モチーフにいろんなお人形を使ったり
参考になるような絵本や、刺繍の本に出てくる小人さんみたいなものかなと
勝手に想像してしまい、特に彼女に言わないでいたのです。
いつも体調のことや、他に気なることで話しがわ終わっていたのでした。
あるとき、おひな様の話しを彼女がしたのです。
久しぶりにおひな様を出すのが怖かったと。怒っているんじゃないかなと思って、と。
毎年きちんと飾っていたのに、ここ数年出せずにいたそうです。
彼女のご実家はお人形屋さんなのだそう。だから余計におひな様を飾れなかったことが
なにか悪いことのように思っていたようでした。
私はその話しを聞いて、それで小さな小人さんが視えたんだと思いました。
小さい頃からお人形に囲まれて育った彼女はお人形に守られているのねと。
そう彼女に伝えると、「たまゆらさん!!」と写真を見せてくれました。
それは、今の彼女のお家にあるたくさんのお人形のコレクションでした。
「私お人形が大好きなの!」
その写真には本当にたくさんの小さな小人さんたちが写っていました。
そして、一番驚いたのは「私のおひな様よ。」
そこには美しいお顔のおひな様。お内裏様とおひな様。
赤い着物と青い着物でした。
私に視えていたのはいつも一緒にいる彼女のお人形と
大切にしているおひな様だったのです。
お人形やぬいぐるみやモノには命はありません。
全てのもではありませんが、ときとして嬉しいとか悲しいとか感情に近いものを感じ取る
ことがあります。
これは、大切にしてくれる持ち主の愛を受け取って、感情に近いものが芽生えることがあるそうです。
子供のように可愛がっていると、お人形もやはり嬉しいのです。
逆に、毎日暗く辛い、憎しみがいっぱいで過ごす人のお人形は、その人の無念をくみ取ってしまうので、そうした人形に触れると、なんとなく悲しい気持ちが伝わったりするそうです。
私はまだお人形さんのリーディングはしたことがありませんでしたが
このときに初めて、彼女のおひな様に意識を合わせてみました。
すると
まず飛び込んできたのは「嬉しい」ということでした。
出してくれてまた会えたことを喜んでいました。
そして、彼女のご両親にごめんなさいという思いです。
小さい頃からこの子の成長を一緒に見守ってくれてありがとうというご両親からの愛を感じていて
それに対して嬉しい気持ちがあって。
毎年毎年、こんなに大きくなったよ、こんなに可愛くなったよ、こんなに優しい素敵な女性になったよって、ご両親と一緒に喜んでいたから。
今年は成長を見ることができなかった、また今年も見られなかったというのが何年か続いてしまい
ご両親に対してごめんなさいという気持ちでした。
友人が久しぶりに怒ってるのではと思いながら箱を開けた時、おひな様がぷいと横を向いていたそうです。
友人はそれを怒っていると思ったそうですが、怒る気持ちなんてまったくありませんでした。
ご両親の方を向いてごめんなさいという気持ちだったのです。
ひな人形には、生まれた子どもがすこやかで優しい女性に育つようにとの親の願いが込められています。
ひな人形をその子の形代と考えて、どうぞ災いがふりかかりませんように、また、美しく成長してよい結婚に恵まれ、人生の幸福を得られますようにという、あたたかい思いを込めて飾ります。
まさにご両親の愛をお人形さんから感じることができてる、心温まるエピソードになりました。