人間の心
category: スピリチュアル
お仕事は?と聞かれると、私は「セラピストです」と答えます。
セラピストも幅が広いと思いますが、私は「ボディワーク」でアロマやアーユルベーダを扱い、「エネルギーワーク」でヒーリング、リーディングをしています。
このヒーリングとリーディングの話しがとても説明に難しく、中には「ああ、そっち系笑」みたいな反応の方もいらっしゃいます。
家族でさえ、きっと初めは心配したことでしょう。。
これは、ある意味仕方のないことだと思っています。
今こそ、私はスピリチュアルなことを仕事にしていますが
昔は、私も半信半疑でした。
「見えないものは存在する」そう思ってはいましたが
それを仕事にしている人たちが、どうにも胡散臭く思えて仕方ありませんでした。
実際に高いお金を払って、いわゆる霊能者さんにみてもらったこともあります。
でもやっぱり納得できないことばかりで、興味のあった時期からだんだん離れていきました。
このヒーリングとリーディングの話しがとても説明に難しく、中には「ああ、そっち系笑」みたいな反応の方もいらっしゃいます。
家族でさえ、きっと初めは心配したことでしょう。。
これは、ある意味仕方のないことだと思っています。
今こそ、私はスピリチュアルなことを仕事にしていますが
昔は、私も半信半疑でした。
「見えないものは存在する」そう思ってはいましたが
それを仕事にしている人たちが、どうにも胡散臭く思えて仕方ありませんでした。
実際に高いお金を払って、いわゆる霊能者さんにみてもらったこともあります。
でもやっぱり納得できないことばかりで、興味のあった時期からだんだん離れていきました。
ではなぜ、今ここにいるのか。
私の場合、ボディワークが先でした。
アロマテラピーやリフレクソロジー、中国の推拿を学び
アロマテラピーやリフレクソロジー、中国の推拿を学び
身体を癒したいという思いが強くありました。
だけど、心と体は切っても切れないもの。身体だけのアプローチではだめだと、心理療法も同時に学んでいきました。
そうしているうちに、身体を整えたいなら、心に目を向けていくことが大切だと、
むしろ、それが絶対条件だと思うようになりました。
心を癒す、身体を癒す、それはどういうことなのか。。。
答えを探しているうちに、今ここにやってきました。
もう一つ、魂のことを知ることになったのです。
以前、何かで見たか聞いたか詳細は忘れましたが、見えない世界、スピリチュアルなことを科学的に紐解くと。。
説明しがたい感情や出来事に枠組みを与えたがるのが人間だそうです。
たとえば、これはの神様のメッセージ?とか、シンクロニシティ?とか、セレンディピティ?
などなど。。。。
そう、これは他の動物にはないこと、なのですよね。
そうしているうちに、身体を整えたいなら、心に目を向けていくことが大切だと、
むしろ、それが絶対条件だと思うようになりました。
心を癒す、身体を癒す、それはどういうことなのか。。。
答えを探しているうちに、今ここにやってきました。
もう一つ、魂のことを知ることになったのです。
以前、何かで見たか聞いたか詳細は忘れましたが、見えない世界、スピリチュアルなことを科学的に紐解くと。。
説明しがたい感情や出来事に枠組みを与えたがるのが人間だそうです。
たとえば、これはの神様のメッセージ?とか、シンクロニシティ?とか、セレンディピティ?
などなど。。。。
そう、これは他の動物にはないこと、なのですよね。
人間だけが「心」を持っている。
それが「神や超自然を信じる」ことにつながる。
「心」がある人間だけがくみ取り、受け取ろうとする。
「心」が意味を求める。
では、見えない世界はそもそも存在しないのでしょうか?
人間が人間であるのは心があるから、この心の存在が人間の存在の証のひとつであるなら。
見えない世界(心)は常に付きまといます。
見えないものはある意味「スピリチュアル」の世界です。
スピリチュアルを毛嫌いする人もいますが、スピリチュアルなしに「人間」は語れないのです。
と同時に、起こる出来事に理由や意味を求めすぎると、「思い込み」や「錯覚」の世界で生きる危うさもあるというのも理解できます。
見えない世界を扱うリーディングなどは、常にこのジレンマを理解しておく必要があることは確かです。
しかしながら人として生きる以上、避けては通れない「心の領域」をどうとらえるのか。。
なぜなら私たちに生きる勇気を与える「信じる」という能力は
見えない世界に自分なりの意味を持たせることだからです。
人のため、世界のために祈ることができるのも人間だけです。
祈ることは見えない世界や大いなる存在を信じることと同じ。
スピリチュアルとどうつきあっていくかは人として生きる私たちにとって
永遠の課題なのかもしれません。
ひとりひとり、「信じるもの」は違っていることでしょう。
同じなのは、心という人間だけに与えられた目に見えない世界を使って、自分だけの何かを信じているということです。
それが「神や超自然を信じる」ことにつながる。
「心」がある人間だけがくみ取り、受け取ろうとする。
「心」が意味を求める。
では、見えない世界はそもそも存在しないのでしょうか?
人間が人間であるのは心があるから、この心の存在が人間の存在の証のひとつであるなら。
見えない世界(心)は常に付きまといます。
見えないものはある意味「スピリチュアル」の世界です。
スピリチュアルを毛嫌いする人もいますが、スピリチュアルなしに「人間」は語れないのです。
と同時に、起こる出来事に理由や意味を求めすぎると、「思い込み」や「錯覚」の世界で生きる危うさもあるというのも理解できます。
見えない世界を扱うリーディングなどは、常にこのジレンマを理解しておく必要があることは確かです。
しかしながら人として生きる以上、避けては通れない「心の領域」をどうとらえるのか。。
なぜなら私たちに生きる勇気を与える「信じる」という能力は
見えない世界に自分なりの意味を持たせることだからです。
人のため、世界のために祈ることができるのも人間だけです。
祈ることは見えない世界や大いなる存在を信じることと同じ。
スピリチュアルとどうつきあっていくかは人として生きる私たちにとって
永遠の課題なのかもしれません。
ひとりひとり、「信じるもの」は違っていることでしょう。
同じなのは、心という人間だけに与えられた目に見えない世界を使って、自分だけの何かを信じているということです。
2019_05_11