待つ、を学ぶ
category: つれづれ
この時間(23時です)は、窓を開けていると、
涼しい風が入ってきます。
秋風を思わせる、風です。
昼間はまだまだ、残暑がきびしいのですが。
きょう、外を歩いていると、
あちらこちらで
百日紅(さるすべり)を目にしました。
ちょっぴり、
私にはほろ苦い想い出のある百日紅。
胸をきゅっとつかまれながら
通り過ぎました。
きょうは、乳がんの検診だったので
たいして楽しいお出かけでもなく、
帰りに、寄りたいところもあったのですが、
なんだか自粛ムードの中、
特別急ぎじゃないと、
買い物もはばかれますね。。
この夏、ほしかったものが3つ。
そのうちの2つは
思いがけず、私のところにやってきました。
もう一つ、
ほしいものは、なかなか見つかりません。
ガラスペンです。
お気に入りのものがほしくて、
探しているのですが、なかなか。
自分用に
誕生日プレゼントにしたかったのですが。
見た目もシンプルで、
ちょっと青みがかったもの。
以前、見かけたときに
なんて素敵だろうと思ったのですが、
そのときは、まだ、
求める勇気がなかったんですね。
壊してしまうのではないか、
ちゃんと使いこなせないのではないか、
余計な心配をしていました。
なぜかこの夏、
急に使いたくなったガラスペン。
ネットでも探したりしましたが、
あのときのものは、
見つかりません。
似たようなものは
あるのですが。。
それに、実際に触って、
手に持って馴染み方をみないと、
こういうのはわかりませんから。
きょう、探したい気持ちを抑えて、
帰ってきました。
誕生日に間に合いませんでした。
今は縁がないのですね。
気長に待つとしましょう。
この「待つ」ということ。
以前はできない私がいました。
結果を急ぐ、
結果がほしい気持ちで、
とにかく行動あるのみ、だったのです。
そうなると、
動かないでいることが怖くなってくるのです。
動かなきゃ、という焦りも生まれます。
いわゆる
「doing」と「being」
呼吸のクラスでも、
先生から何度も云われていたけれど、
頭でわかっているけれど
体感として腑に落ちない。
どうしても待てない私がいました。
なにもしない。
それほど不安なことはありませんでした。
ようやく、
体感としてわかってきたのは、
太極拳をはじめて
思い出したからかもしれません。
太極拳の動きは、
まさに
余計な動きをしない、
全てを動かさないから、
ちゃんと自然におさまるのです。
すべてにタイミングがあること、
それは必ず、
その人に最適な形でやってきます。
待っていれば起きることを、
自分で動かすことで
失ってしまうこともあります。
beingは存在そのもの。
小さなところでじたばたして
思い通りにならないと嘆くよりも、
大きな宇宙にゆだねてみると
その采配の素晴らしさに気づくことができます。

夏から秋風が吹くころまで、
100日に渡って咲きつつづけるという
百日紅。
夏バテ知らずの百日紅。
真夏の日差しにも、
まるでビタミンをふりまくように。
ありがとう。
ありがとう。