楔だと思えたとき、きっと。
category: アストラルプロジェクションリーディング
12月になりました。
まるで待っていましたというように
寒くなりました。
今日は久しぶりの
リーディングのお仕事がありました。
それに先立って、
というわけではないでしょうが、
きのう、トートからメッセージがあって
それはもう感動しました。
繋がりたいけど、私なんて。
ずっとそう思っていたことを
思い出しました。
トートは厳しいと聞いていたので、
その思い込みもあったかもしれません。
でも私には厳しさより
大きな宇宙の愛が際立って
涙が止まりませんでした。
来月には、
リーディング・チャネリングクラスを
これまた久しぶりに開催するので、
そこに向けて、
サポートがきているのを感じられ
とっても嬉しく、
心強く思います。
*
ひとはどうして
「過去」に生きようとするのでしょう。
過去のせいで
「わたし」はだめだ。
だからもっとがんばらねば。
過去のせいで
「わたし」は傷つきみっともない。
だからだめなにんげんだ。
過去があるから今の私がある。
そう胸をはって思えたら、
とっても自由になれるのに。
ひとは誰でも、
思いがけないところに、
うまくゆかなさを抱えて生きています。
それは私も同じ。。。
それもまた、勉強なんだろうと
考えても、
辛いものは辛い。
苦しいときは、
すべてをうらみごとにしてしまうような。
だけど、
このうまくゆかなさ、
哀しみ、
自分の不器用さ、たちが、
じつは、自分の日日を支えるものになっているという、
そんなことも考えたりします。
それが生きるって、ことかなあ、と。
楔(くさび)のような、ものかなあ、と。
いいこともわるいことも、
織り交ぜての人生ですから。
「いいこと」と思える事ごと、
「わるいこと」と思える事ごと。
まざっての値打ちなのかもしれませんしね。
自分であることに、
もっと安心していいのではないかな。
自分は自分、
ほかのなにものでもないのだから。
もっと自由で、ね。
佳い12月を