あたらしい春
category: つれづれ
春が生まれる日。
あたらしい一年がまた、
はじまります。
きのうは豆まきと恵方巻も食べました。
なんだかやることがいっぱいあった今週。
そんな時に限って
不調を自覚したりして。
のろのろカメの歩みの一週間でした。
そういえばこのところ、
ずっと忙しくしている。
イコール、無理をしている感じなのでした。
「無理をする」って、どんな状態なんだろう。
よく、無理しないでくださいね、とか
無理は禁物です、なんて、
人からも言われるし、私も口にすることが多いのですが、
実際は無理をしないでいることって、
とても難しい世の中のような気がします。
「無理をする」のは、体が辛いのに頑張ることだけではないし、
気が乗らないことをするとか、
これをやらなきゃ、という縛りで行動することとか。
自分の心模様とは関係なく、
自分以外のなにかに、無理やり合わせていることを
そう呼んでいるわけですよね。
そう思うと、日日、無理をしない日はない。。
小さい無理はいっぱいあるのでした。
休みたくても休めない、
忙しいから、人がいないから、私がやるしかないから、
しんどくても仕事をするし、
苦手な人であっても、
おとななんだからそれがルールとばかりに
仲良くしようとするし、
今は話したくない気分でも、
LINEでさえ愛想笑いで返信する。
あげくの果てには、
リラックスの仕方もわからなくなったり。
「何もしない」ことに、
罪悪感が生まれたりして。
それが当たり前になると、
もう無理をしている感覚が
マヒしているので、
自分は無理をしているという
自覚がない人も多いのではないかな。
私もいつもやるのが、
何もしないつもりでソファに座るけれど、
気づけば洗濯物を畳みながら、
このあとの行動を考えていたり。
この時間は自分を休ませようと思うのに、
まず洗い物を済ませよう、
空いた時間で滞った家事をしなければ、と、
気づけば、何かしらやっていて、
結局「ああ疲れた」のまま。。。
でも人には「無理をしないでね」とよく言っているのに、
自分が一番できていないことだったなと
不調が続いてそう気づいたのでした。
頑張ることが美徳であるという認識が
根強くあるけれど、
それは自分が自分らしくいられることで
はじめて成り立つのであって。
本来の自分ではないもの、
つまり、自分の心とか身体が
どうしたいかを無視した行動は、
「無理をする」状態なんだと思うのです。
小さい無理というのは、
ひとつひとつはたいしたことがなく、
そのときは大丈夫なんです。
むしろ褒めてもらえることなのかもしれません。
でも、積もり積もって
そこから抜け出せなくなるときが
いつか必ずやってきて。。。
そう、本来の自分に戻れなくなっていたりします。
無理してできあがった自分は
きっと窮屈。
そこから体調や心の不調に繋がるのは、
とても納得がいくことですよね。
今週、とても忙しかったけど、
無理やりにでも時間を作って
たのしいこともしました。
大好きなしほちゃんとたのしいおしゃべり。
去年からの約束で、ようやく実現したランチでした。
最初は、夕方には別れて、
家に戻ってから資料作りもしなきゃだし、
夕飯の支度に間に合うように帰ろうと
ぼんやり思っていたのですが、
楽しい時間をもっと過ごしたいと思い、
思い切って家族にLINEすると、
快く、ゆっくりしてきてと返信があり、
夕飯の支度も任せていいことになりました。
もっと早く頼れば良かったなと思いながら、
夜まで、年越しの約束を堪能しました。
さらに、その2日後。
娘に誘われて、チョコレートの祭典に行きました。
チョコレートパフェうまうま💕
この日は午前中に遠隔ヒーリングがあり、
半日だけのデートでしたが、
チケットは娘が用意してくれていて、
お膳立てしてもらえるなんて楽ちんでした。
好きなひとと、美味しいものを食べて
たわいもないおしゃべりをする時間の
なんとも芳醇なことか。
こんな贅沢な時間を
味わわないなんて、
ちょっと"忙しい"を手放すだけなのに、
もったいない。
あらためてそんなことを感じた
この一週間でした。
これからはもっと
自分以外のなにかに合わせて
決めたり動いたりではなく、
私は私に聞いてあげよう。
あたらしい一年は
もっと自由で、
もっとたのしくいこう。
そんなふうに思ったら、
なんだか心が軽くなりました。
さあ、あたらしい春がはじまります。
どんな一年にしましょうか。
みなさまどうか
佳い2月を
佳い新年を