個性は調和する。
category: つれづれ
もうすぐ夏休み、
子どもたちはわくわくしてる頃ですね。
暑くてもへっちゃら、とばかりに、
キラキラの歓声が聴こえてくるようです。
この夏はほんとうに猛暑のようで、
エアコンが欠かせない夏に
なってしまいました。
それでも、私は夏が好き。
どんなに暑くても、
この夏特有の、夏だけの感じ方が
なつかしくちょっぴりせつなく、
心に強く残るのです。
おとなになるにつれ、
夏休みの楽しみ方は
ぐっと減ってしまったように
思いますが、
小さいころ、
真っ黒になって、
太陽と風と遊んだ記憶は
美しく、それでいて
どこか甘酸っぱい感覚として、
7月とか
8月とか、
夏という言葉だけで、
蘇ってくるのでした。
時代も大きく変わり、
子どもたちの遊び方にも、
変化があります。
環境や、紫外線や、
社会のありかたや、
おとなの考え方が
昭和のおおらかさから
どんどんかけ離れ、
窮屈さに慣れ親しむひとへ
なってほしくないなあと。
とはいえ、
私たちの時代より、
うんと自由になっているところもあるのでしょう。
昔では考えらなかった、
世界への可能性も、
今だからこそ、
拡がったことと思います。
そして多様性が叫ばれ、
様々なところで
それを意識させられる
仕掛けなどが目につきます。
しかし、そうして強調することで、
よけいに目立ち、
他と違う、と意識させ
孤立していくような、
そんな気がしてならないのは
私だけでしょうか。
多様性なんて、
叫ばなくても
当たり前になくては
おかしいのに。
みんな違っていて、
あたりまえなのに。
私たちは小さな頃から、
周囲に「合わせる」ことが
「調和」だと思い込んできています。
それは昭和の頃から、
今も一緒だと、
娘たちを見ていても
わかります。
協調することが素晴らしい。
他人に迷惑をかけてはいけない。
そうやって育てられた私たちは、
いつの間にか
「自分らしさ」を押し殺し、
周囲に合わせ始めます。
押し殺し、合わせます。
自分を抑え込んで、
本当の自分を押し殺して、
他人に合わせることが
「調和」だと、
信じこんでしまっているのです。
小さな子どもたちは、
さまざまな個性をもって
公園で楽しそうに遊んでいます。
その個性を気にしている子どもはいません。
気にするのは
周りの大人だけ。
本当は、私たちおとなになっても、
同じなんです。
本当は、
合わせることで調和するのではなく、
自由に個性を発揮していても、
調和がとれる。
個性を発揮しても、
お互いが尊重し合う中で、
すべてが調和する。
子どもたちは、
魂の喜びだけで生きています。
だから誰が来てもたのしい。
うれしい。
私たちおとなができないのは、
ハートが開いてないからです。
ハートの感覚を思い出す。
それしかないのです。
ハートが開けば、
そこには愛しかないはず。
あなたがハートを開き、
心地よく発したバイブレーションは、
周りのひとのハートにひびき、
共鳴します。
それが、調和。
子どもたちには、
どうか、そのままで
間違った調和を
すりこまないでほしいと、
心から
希っています。
どうか、愉しい夏を。
愉快な夏休みを、ね。